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魂が宿るものは売れない

 日本では企業のM&Aがなかなかうまくできない理由として、社会思想が関係していると思います。

  たとえば、日本企業は資産を入れ替えるのが苦手です。既存の分野で儲かっている、あるいは儲かりそうなところに、もっと投資をして成長させて、たとえ今は利益が出ていても今後の成長を見込めないところは売るということが、なかなかできません。利益が出ていれば、なぜ売るのかという考え方をしてしまうのですが、そもそも利益が出てなければ二束三文でしか売れないのです。

  この背景には、日本企業では事業は利益を生み出す機能というよりも、魂が宿っている不可分なものだという捉え方がされていることがあると思います。人を切る話も同様で、組織の中で人は利益を得る機能ではなく、「人間」として雇っているので、人を切るなどもってのほかと考えるのです。一方、欧米企業は事業も人も単なるバランスシートの1資産であり、効率性を考えれば、機能を入れ替えるだけで何ら問題はないわけです。

  日本企業にはそもそも、企業組織の中でそういう宗教的な考え方が埋め込まれているので、それを乗り越える理屈を明確に示して、提案してあげない限り、事業売却は人間の肉体を切り刻んで売るのと同じだという受け止め方になり、そこで働く人たちは不安になります。しかし、企業も今後は生き残りをかけて、効率性や生産性を高める必要があります。従業員もステークホルダーとはいえ、会社の所有者ではなく、株主利益ももっと尊重しなくてはいけません。あらゆるものに魂の宿るという1種の自然崇拝的な信仰から抜け出し、現実を提示して言い切る能力が不可欠だと思います。

 

 


 

弱点は財務会計のリテラシー

 グローバル化の波の中で、日本企業がうまく泳いでいけない大きな理由の1つが、ファイナンスのリテラシーが非常に低いことにあるのではないかと感じます。実際に、グロービスの経営大学院の受講生たちを見ていても、ファイナンス科目は異常なほど人気がないばかりか、相対的に成績も悪いと聞きます。

  業績発表の場で、「現状から見て、ネットキャッシュフローの上昇率の見込みとその理由を教えてください」と記者から聞かれたときに、そんな細かいことは自分の範疇ではないと嫌がるCFOがいるそうです。しかし、そこは非常に大事なところです。ある戦略をとることで、ROA、ROE、1株当たり利益がどれだけ上昇するか、ネットキャッシュがどれだけ増えるか。こうした基本的な質問が少ないので、その準備もしていないのだとすれば、バランスシート経営が尊重されていない証拠です。

  日本企業がM&Aがあまり成功しないのも、CFOの基礎力が不足しているからだと思います。おそらく、M&Aで陣頭指揮をとったことがなく、バンカーが持ってきた資料を見るだけ。自分でこの会社を買ったら、1株利益がこれだけ上がるという判断ができないのでしょう。他のマネジメント人材にしても、簿記二級くらいの能力がないと、M&Aのプロフォーマ(試算)BSが正しいかどうかの判定もつかないため、コンサルタントやバンカーの説明をただ聞くだけになってしまうでしょう。

  日本企業が抱えるファイナンス面の問題について、私が最初に実感したのは、1980年代後半でした。それから四半世紀が経ちましたが、いまだに何も変わっていません。グローバルで戦う上では、これは何とかしなくてはならない重要な課題だと思います。

 

 

円高だから、売上や利益が下がる?

 効率経営か、量の経営かという議論は常にされてきましたが、世の中の動きは完全に効率経営に移りました。したがって、業種業界に限らず、どんな不況が来ても、きちんと利益を上げられることが必須となっています。

  にもかかわらず、「円高の影響で売上がこれだけ減り、利益も減りました」という趣旨の説明をする企業がいまだに多いのは、信じられません。30年前に、イギリスのフィナンシャル・タイムズの記者が「そんなことを言う企業は、財務能力がないことを公言しているようなものだ」と一蹴していたとおり、1年前に為替リスクをヘッジしておけばいいだけのことです。予想通りの売上を出せば、予想通りの利益になるはずです。

  実は、私が為替リスクヘッジについて猛勉強したのは、1987年のイギリス時代です。赴任早々に担当した顧客から、「日本にある持ち株子会社のバランスシート・ヘッジをしたいが、どういう策が考えられるか提案してほしい」と言われて、意味がわからなかったのです。それをきっかけに、トレジャラー(財務担当部長)を養成する学校に通うことにしました。

  ファイナンスというのは、1つのものの見方であり、それが変われば、会社の見え方はがらりと変わります。しかし、一般企業で経理や財務の担当者は、なかなか全体を見るようなやり方で育てられていません。だいたいメーカーであれば各地の工場の原価計算から始まり、PLを担当し、本社に移ってBSを担当しても、勘定科目の一部を見るだけ。海外赴任して、子会社全体を見る経験があれば飛躍するチャンスとなりますが、また帰国すれば、元の業務分担に戻るので、勘定科目の一部について詳しくなるだけで、全体のバランスシートはわからない。これでは欧米のような財務専門家としての経営者CFOが育ちにくいはずです。

 

 

 

産業の中心地だった高岡は今・・・

 先日、知人の葬儀に参加するために富山県の高岡市に行きました。富山県と言うと、何となく加賀百万石と言われる金沢とは違う場所のように感じていましたが、同じ前田家の領地だと再発見! 前田利家や利長が苦労して築き上げた賜物がいまだに残る、不思議な街だと感じました。

 特に印象的だったのが、タクシーの運転手さんから聞いた話です。

  京都の文化を持ってきた文化の中心が金沢だとすれば、高岡は工業の中心地だったそうです。江戸時代、前田家は京都から銅を作ったり、欄間の透かし彫りをする職人を連れてきて、高岡に移住させて、一大産業を築いたのです。

  ところが、そういう誇りが災いします。明治以降、道路や鉄道を通すことに、高岡の住民はことごとく反対したのです。その結果、北陸自動車道も、鉄道の北陸本線も高岡を通らず、かろうじて新幹線が新高岡に停まるだけ。明治以降の経済発展から取り残されてしまうのです。将来を見通せる政治家や行政官がいないと落ちぶれると、タクシーの運転手さんは嘆いていました。 

  実際に、高岡の旧市街はシャッター通りで、大きな百貨店が閉店するニュースが報じられる側で、新高岡の駅前には巨大な「イオンモール」が完成したばかり。先を見通せる人がおらず、過去の栄光に浸って、おごり高ぶり、新しいものを受け入れなければ、かつて繁栄を誇った街の中心地も、どんどん地盤沈下していくことを象徴しているように感じました。

 

 

 

ストーカーもDVも同根

 引きこもり、ストーカー、DV(家庭内暴力)はいずれも根は似通っていると思います。自分の中にある弱さ、見つめたくないもの受け入れる力が不足している、ということです。

  ストーカーは、相手のことが好きになると、相手も俺のことを好きに違いない。何らかの理由で、それが表現できていないからだと勝手に思い、相手に付きまとい、追いかけるという行動をとります。それは究極のナルティシズムであって、相手が本当はそれが好きでないかもしれないと思うだけの共感力や想像力が決定的に欠落しています。そこを解消できないと、相手を傷つけたり、殺したりする行為に出るのです。

  DVは連鎖すると言われます。子どもに暴力を振るう親は、自分もまた暴力を受けて育ってきた。そのため、愛情の表現が暴力以外ではできなくなっているのです。これは、自分がそういう環境で育ち、サディスティックなものをよしとする考えを自分の中に持っていることを見つめて、受け入れない限り、克服できません。

  自分の弱さを含めて、いかに自分を愛せるようになるか。これにはやはり修練が必要です。最近は、核家族や個人主義で、いじめや虐待の疑いがあっても、周りの人が介入しにくい社会になっています。周囲と接点を持ち、いろいろな考え方に触れることで、どこかでコツンと自分の限界に突き当たり、自分の弱さを見つめるチャンスが出てくる。それが立ち直るためのポイントなのですが、そういうプロセスがとりにくい世の中になっているのが残念です。