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高校時代に読み漁った本

 今から振り返ってみると、高校時代に読んだり、聞いたり、考えたことがその後の人生にかなり影響を与えていることに気づかされます。

 私にとって一番大きかったのが、人の心理、精神医学に興味を持ったことです。最初に読んだ入門書は、岩波新書から出版されていた心理学者の宮城音弥さんの本。その後、ユング心理学者の河合隼雄さん、ユング自身が書いた本へと読み進め、心理学にかなり深入りしました。その影響で文系だったのに志望を変えて、国立大学医学部を受験しましたが、結果は2浪。それでも受からず、最終的に慶応大学経済学部で学ぶことになりました。 

 当時は、1970年に創刊された文芸春秋社の雑誌「諸君」もよく読んでいました。今はもう休刊となったオピニオン雑誌ですが、作家の三島由紀夫の父親が「倅、三島由紀夫」と題した連載を書いたり(三島由紀夫の自決後の一年後に心境をつづったものです)、上智大学の渡辺昇一先生が面白い論文を書いて論壇にデビュー。また、新聞記者出身の森本哲郎さんが書いたものもよく読んでいました。同時期にベストセラーになったのが山本七平著『日本人とユダヤ人』。当時の論壇は岩波書店の「世界」を中心にした進歩系の論調に対して、新自由主義や保守派と呼ばれる人たちが旬で、それらをむさぼるように読みました。その影響は大きかったらしく、今でもその残滓が抜けていない気がします。 

 英文読解の授業では、先生があちこちから切り貼りして編集したタイプ刷りの英文のエッセイ集を読まされました。随分良いことを言っているなと思ったのが、社会心理学者のエーリッヒ・フロムや、マーティン・ルーサー・キング牧師。ベンジャミン・フランクリン、マーク・トウェイン、バートランド・ラッセル、ラルフ・ワルド・エマソン、ウィリアム・ジェイムズなど。切り抜きを読んで内容に興味を持った作家の作品は、自分で翻訳本を買って読みました。原文ではなく翻訳だったところに英語力の不足さを感じますが、そうした授業がいろいろな作家の作品に触れるきっかけとなり、自分の世界が広がっていきました。

 

 

 

 

生徒から質問

 開成高校で講演したとき、生徒からの質問に答える時間もありました。新型コロナウイルスの感染者や死傷者の数が日々増えていく状況だったせいか、ある生徒から「僕は最近、死ぬのが怖くて不安に思っていますが、どうやって解消したらいいですか」と聞かれました。

 生と死は裏腹なものであって、死だけが特別なものではありません。死ぬのが怖いのであれば、一番良いのは生まれてこないことです。ですが、誰かが生まれてくるのは、偶然が重なった結果です。たまたま父親と母親が出合い、精子と卵子が結合するという、ものすごく低い確率の中でこの世に生を受けたのです。そして生を受けた以上、いつかは死ななくてはなりません。大震災で感染症の拡大によってわかったように、昨日まで元気だった人が一夜明けるといなくなったりします。若い人でも一瞬先にどうなるかはわかりません。それが現実です。

 それを悲観的にとらえるのではなく、そういうものだと認めて、あきらめること。それを大前提にすれば、死んだのなら仕方ない、心臓が止まったのだと受け止められるようになります。それでも怖いなら、怖いのだと思ってもいいし、声に出して叫んでも構いません。しかし、今の感情から一歩離れて、自分の状態をメタ認知できれば、それほど怖くはなくなります。

 質問した生徒がどれだけわかってくれたのかは不確かですが、そんな話をしました。これは奇しくも、良寛上人が手紙の中で語っていることと同じです。良寛さん曰く、「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候、死ぬる時節には死ぬがよく候、是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候」(災難に遭うときは災難に遭うがよかろう、死ぬときは死ぬがよかろう、それが災難から逃れる秘訣だ)。人生とはそんなものだと思う以外に、自分の人生を受け入れるやり方はないようです。

 

 

 

思春期の終わり

  6月に母校である開成高校に呼ばれて、在校生向けのオンラインで講演を行いました。テーマは「将来のキャリアに向けての人生訓」。40分くらい話をした後、30分程度、開成の同期である校長先生を交えて質疑応答をしました。

 この講演の準備として、自分が中学や高校時代に何をやっていたのか、必死に考えてみました。すると、意外に思い出せることが多く、当時読んでいた本が急に読みたくなって、古本を取り寄せたりもしました。

 中高時代の私はなかなかの多読家でした。中学生の時は、坊主刈りだったこともあって、あまり外に遊びに出かけることもなく、学校から帰ると家で勉強するという、内向的な生活を送っていました。読書習慣が身についたのは、国語の先生が独自に必読書100冊を選んで、生徒に読ませていたことが一因です。さらに毎回の国語の授業で、新聞の社説を5行に要約して提出しなくてはなりませんでした。そうやって読んだり書いたりしていると、国語の実力はつくものです。予習復習を真面目にやっていたので、中学3年生のときはクラスでも1~2番の成績をとれていました。 

 ところが、高校生になると、そんな生活が一変します。髪の毛を肩まで伸ばし、クラブを3つかけもちし、生徒会の役員や文化祭準備委員をやるなど、突然、外交的な生活を送り始めました。おそらく思春期が終わったのでしょう。成績はどんどん落ち、親としては面白くなかったと思いますが、私自身としては、とても楽しい高校生活を送りました。

 

 

想定外のことが起こる時代

 先日、ラジオを聞いていたら、外国人雇用者が家族で来日し、社宅で暮らしながら働いていたけれども、コロナをきっかけに雇い止めとなり、社宅も出され、食べていく当てもない。渡航規制により日本から出られない状況とあって、お寺がシェルターとなっている話を聞きました。

   こうしたことは、外国人労働者だけでなく、誰にでも常に起こりうることだと思います。昨日まで自分の会社は永遠だと思っていたのに、ある日突然、会社が自己破産や会社更生法を申請したり、買収されたり、リストラ策の一環で自分の所属事業が売却や閉鎖されたりする。それは人為的な問題のこともあれば、自然災害のこともあるでしょう。昨日まで当たり前だったことが、いつそうでなくなるのかは、私たちにはわかりえないことです。

   そのような自然現象、想定外の出来事の前では、人間の力はまったく無力で、立ち向かうことはできません。それに対する最大の防御策は、開き直ること。いつ死んでも悔いのない生き方をするしかないと思います。自分の人生を主体的に生きると決断することが、人生成功における大前提になるのです。

   どこかに行くのであれば、目の前にあることから逃げるためではなく、それを終わらせて先送りしない。やりたいことはできるだけ今やる。お金ができたらとか、時間できたらと、先延ばしにしていれば、永遠に実現しません。仮に時間があるなら、借金をしてでも実現させてもいい。そのくらい主体的に、自分の望む生き方をすることが大切だと思います。

 


 

覚悟を決める

   人間が歴史から学んだことは、学んだことを実行しないで、すぐ忘れる、ということなのかもしれません。

    新型コロナ感染症で大変だと言いつつも、緊急事態宣言が解かれるか解かれないかと言っている間に、2カ月前のことなど忘れて元通りの生活が始まりました。忘れたフリをしているだけかもしれませんが、第2波が来たらそれは仕方ないと、野放図に暮らしています。もちろん、一定の制限がかかっているので、外出、大規模集会やスポーツ観戦、コンサートなどに規制はあります。

    そうした対策を取る中でも、個人の死生観が問われます。東日本大震災にしても、今回の新型コロナの蔓延にしても、死と生は隣り合わせで、いつ自分の番が回ってくるかはわかりません。自分がずっと生きられるわけではないのはわかっていても、明日死ぬとは思わないのがほとんどの人間です。想定外の出来事が常に起こることを常に思い起こすようにしないと、覚悟が定まらず、右往左往するしかありません。

    宗教者として、人々の不安が高まっている状況こそ、人々が現実に向き合い、受け止められるよう導く役割を果たすべきだと感じます。イタリアでは聖職者が大勢亡くなりましたが、それは最後の聖油を授けるのが司祭の役割であり、たとえリスクがあっても務めを果たした結果です。それに比べると、日本の仏教界には甘さがあるのかもしれません。