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ペンリンインターナショナルとは

50歳以降の生き方

   大企業では、同期入社の中から役員が出始め、もう出世が見込めないとわかった時に、これから先はどうしようかと去就に悩む人が多くいます。確かに50歳以降、頭数として不要だと思われた人の処遇は悲惨で、子会社に出向させられるなど、あまり明るい展望は描けないかもしれません。しかし、そういう人でも、会社に支配される人生を捨てるという決断をすれば、いろいろな人生が開けてくるはずです。

 たとえば、大企業の人は自分がトップで出世したとか、二番手だといったことを意識しがちです。しかし、どれだけ出世が早かろうと、順位が上だろうと、社長になる人以外はどこかの時点で引退していきます。社内で大変な思いをしながら、社長になれたとしても、栄光は続かず、長くても3期6年の任期で終了です。

 さらに、社長になった人がよく言うのは、「今のほうがさらに大変だ。早く辞めたい」ということ。その一方、辞めたら辞めたで、また何かやりたくなる。そうやって成功した人でさえ、常に満たされない思いを抱えているものなのです。

 したがって、大切なのは、会社の中で自分が偉くなったとか、給料が上がったとか、世間から注目されたといった、他人の評価に振り回されずに、自分の人生を生きていくこと。会社員は会社の価値観を自分の価値観として代替し、会社を基準に人生を生きようとしがちです。そうではなく、自分の目的に沿って自分の人生を生きようと思えば、会社という枠に捉われずに、次の道を探せるはずです。

 

 

 

 

中長期的な国家戦略

    国家としてのグローバル戦略は経済レベルに偏りがちですが、重要なのは人的資源です。特に、日本のシンパ(同調者)を増やすために、中長期的な視点で戦略を立てる必要があります。

 その点で実にしたたかなのが、イギリスです。たとえば、以前ケンブリッジ大学で学んでいた時に、アフリカの聞いたことのないような国から大勢の留学生が来ていることに驚きました。彼らのもとに母国から訪ねてくるのは、現役の大臣や首相などその国の要人です。つまり、彼らはそういう人たちの子弟や親戚というわけです。彼らは自国に戻れば、それなりのポジションにつき、ゆくゆくは国を背負っていきます。イギリスはそういう人たちを国費留学生として招き、ケンブリッジで学ばせているのです。

 さらに卒業して何年後かに、ホームカミングデーがあるからとケンブリッジに再び招き、そこに外務省の人などが出向いて接待し、縁をつなげていくという活動も行います。こうしてリレーションができれば、いくらロシアや中国が好条件で取引を持ち掛けても、そう簡単になびかないでしょう。若い時に受けた恩はそうそう忘れるものではありません。イギリスは、こうしたすべてを念頭に置いて、戦略的に中長期の投資を行っているのです。

 では、日本の政府はどうなのかというと、たとえば、日本の留学経験者などを海外の大使館に集めて、ホームカミングデーを催したといった話はほとんど聞いたことがありません。限られた国家予算を最も効果的に使うためにも、戦略的に親日派を増やす方法をもっと考えたほうがいいと思います。

 

無関心は最大の罪

   企業の社長さんと打ち解けて話をしていると、本音がぽろりと出てくるものです。よく聞かれるのが、このままでいくと、うちの会社は10年後が厳しくなる。競合が強く、目ぼしい新商品は出てこないし、社員は高齢化していく。しかし、自分は雇われ社長で、あと1年もすれば顧問になって、今後5年間、一定額の収入が確保できる。自分が現役社長のうちは、何とかやり過ごし、将来のことは後任に託したい、ということ。残念ながら、そう思っている人が社長を張っている限り、その会社がよくなるはずはありません。

 問題に気づきながらも何もしないのは、このままでは死ぬとわかっていながら、治療をしないのと同じです。個人レベルで、それが自分の美学だという価値観が成立しているなら、それは尊重すべきことですが、国や会社のレベルになると、話は違ってきます。自分が生きている間だけ、何とかなればいいというのは、あまりにも無責任だと思うのです。しかし、会社だけでなく、学校、医療機関など、さまざまな場所で同じようなことが起こっているように感じられてなりません。

「我々の人類に対する最大の罪は無関心だ」と、アイルランドの文学者のバーナード・ショーと言っていますが、無関心を装い、無視してやり過ごすのは大きな罪です。特に、リーダーの座にある人は、自分の生活レベル上げることが先だと考えずに、問題意識を持ったことに対して何らかの具体的行動をとるべきだと思います。

 

 

何が正しいかは経営判断で変わる

   社内でも正しいと思うことや理想を貫き通せば、かならず誰か認めてくれる人がいる。そう信じたいものですが、こればかりは、時代環境や経営者に大きく左右される問題だと思います。

 たとえば、かつて私が勤務していた三和銀行(現三菱UFJ銀行)は「ピープルズバンク」を標榜し、利益ナンバーワンの銀行になりたいとは決して言っていませんでした。その後、経営者が交代し、凄腕の秘書室長とともに、戦略を大きく変更しました。ピープルズバンクを捨てて、利益ナンバーワンを目指し始めました。そうなった後でも、規律ある貸し出しをすべきだと主張した人は、銀行の方針に従わないということになり、多くは左遷され、役員にもなれませんでした。ナンバーワンになるために貸し出しで収益を上げるという戦略に立てば、それにブレーキをかける奴はけしからんということになります。たとえ後から見れば正しい指摘をしていたとしても、排除されてしまう。それが企業社会の悲しい現実です。

 三和銀行はその後、利益至上主義でひた走り、実際に利益ナンバーワンになったものの、バブル崩壊後に多額の不良債権を抱え、三菱銀行に吸収されるという結末を迎えました。あのときに、「利益追求は目指さない。ピープルズバンクの延長上で中小企業と個人のための銀行で行こう」と唱える経営者がいたならば、違った結果になったのではないかと思うことがあります。おそらくナンバーワンにはならないし、上位行から中位行に落ちたかもしれません。それでも、銀行としては生き残り、格付けも維持できていた。みんなが反対しても、そういう経営判断をしていれば、ネーションズバンク(現バンク・オブ・アメリカ)やウェルズファーゴのように生き残るチャンスがあったのではないか、と。

 企業間で半期ごとに業績を競い合う中で、どれだけ中長期のレンジで考えられるのかは難しい問題であり、まさに経営者の判断力が試されると思います。

 

 

 

独立自尊はどこにいったのか

先日、慶應大学商学部のOBの実業家や起業家が講師となって授業をする「21世紀の実学」という講座に呼ばれ、日吉の大学2年の学生に話をしてきました。講義が終わると、驚いたことに質問者がずらりと列をなし、次の授業に食い込みそうになったので引き続き教員控室で人生相談にのることとなりました。

 何が学生の心に響いたのだろうかと思って感想文を見たのですが、まず、失敗談が新鮮だったとありました。ほかの登壇者は通常、「こんなことをやって成功した」という話をしますが、私の場合、国立大医学部受験で二浪してやむなく経済学部に入学した話などをしたので、同じような経験を持つ学生は共感してくれたのでしょう。なかには、受験時の挫折感を今でも引きずり、自分の中で整理がつかないと悩みを抱えている学生もいました。

 社会に出るとわかることですが、もはや東大慶應卒だからといって尊重される時代ではないし、一流大学を出ても会社で成功するとは限りません。受験のときの偏差値の差など、たいしたことありません。駄目だったことはすっぱり諦めて、次の道を探す。そういう割り切りを持つことが大切です

 もう1つ学生が反応したのが、「承認欲求を捨てよう」というメッセージでした。親や先生、周りの人たちから認められたいから、応えようと頑張るのではなく、誰がどう思ってもいいではないか。褒められることを動機として行動するのは、やめようと言ったところ、「そんなことをしてもいいのか」という驚きの声が多かったのです。

 慶應大学は、誰が何と言おうと自分の主張を貫く「独立自尊」をモットーとしてきたはずですが、今は誰もそんなことを教えないのでしょう。独立自尊は社会や会社にとって望ましくないと、暗黙のうちに思っているだけで、実態は案外違うのではないかと思ったりもします。認められなくても、これが正しいと思う価値観や倫理観が自分の中にあれば、それに忠実に生きればいい。そういう生き方をしても構わないと、若者も中高年も思うようになれば、だいぶ世の中が変わるのではないかと思います。