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能舞台の緊張感が好きだった

 高校時代の経験として、もう1つ思い出したのが、古文の羽田昶先生です。みんなからそれほど人気のある先生ではなかったのですが、何を隠そう、能や狂言の造詣が深く、「能楽タイムズ」によく劇評を書いていました。

 ある時、フランスの哲学者であるジャン=ポール・サルトルとモーヌ・ド・ボーヴォワールが来日し、能舞台を鑑賞した話をしてくれました。ボーヴォワールは途中からずっと熟睡。ところが、終了後のインタビューでは、「いやあ、素晴らしかった」と絶賛したとか。それで、こいつは嘘つきだと思ったというエピソードが、とても印象に残っています。 

 おそらく、そういう話が面白くて興味を持ったのでしょう。私はなぜか羽田先生に近寄っていき、先生経由で一番安い学生用チケットを買ってもらい、今はもうない水道橋の能楽堂に1人でせっせと通いました。能と狂言、そこから影響されて国立劇場で文楽(人形浄瑠璃)や歌舞伎も観るようになりました。

 狂言はわかりやすく、太郎冠者がどうこうという話をそのまま楽しめます。文楽もプログラムの中に床本がはさんであるので、それを読みながら見ていけば問題ありません。ところが、能だけはストーリーがわかっていないと、どこが見どころなのか、さっぱりわからないのです。当時はたしか「能百番」という解説書を読み、あらすじを予習しておくと、かろうじてついていくことができました。

 今にして思うと、ませガキで、だいぶ背伸びしていたと思いますが、こうした伝統芸能の舞台にはどこか心魅かれるものがありました。歌舞伎の場合、客席がざわざわしていますが、文楽では、みんな太夫の話を真剣に聞き入ります。そして、何といっても極度の緊張空間となるのが、能の舞台です。観客は咳払いもせずに、一心に舞台を観ます。あの異様なまでに張り詰めた劇場の感覚がなぜか気に入っていました。

 

 

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