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弾劾裁判の公聴会

サンフランシスコに滞在中に、朝テレビをつけると、ワシントンで行われているトランプ大統領の弾劾裁判のための公聴会の様子が中継されていました。まず下院特別調査委員会のシフ委員長が10分程度、前日の振り返りをした後、証人を呼び出して審議が始まりました。委員長の発言も、民主党の質問も、共和党の応対も極めてロジカルに客観的な事実を淡々と述べて、外国人が聞いていても明確でした。口汚いヤジやののしり合いはなく、とても品位があると感じました。

 その意味では、アメリカの議会はきわめてまともであり、日本の国会中継の議論とはかなりの違いを感じました。日本の場合は、特に論点整理がうまくできていないように感じます。たとえば、「桜を見る会」の問題にしても、何が法律上、倫理上の構成要件で、それが違法かどうか、違法の疑いがあるならそのエビデンスがあるかないか。また、違法でないとしても政治倫理的に良いか悪いか、基準は歩かないか、招待者の決定手続きに問題がないか。そうやって、具体的に議論をするほうが建設的です。

 会社の会議でも、論点を絞り込めきれていない場合が散見されます。そもそも議論することを避ける風習が影響しているのではないかと思います。たとえば、私がかつていた銀行では、最終意思決定機関である経営会議でも、議論は行われていませんでした。担当役員が説明し、それに対して頭取が質問し、ときどき会長が大所高所からの質問をするだけ。それはおかしいと思っていても、誰も何も言いません。ときどき他の本部の専務が何か言おうものなら、なぜ他の本部のことに口出しするのかと評判が下がり、その方は一期で退任となり消えることもありました。相手を言い負かせば、恨まれてしまうから、それはやってはいけないことなのです。ですが、それは所詮「ムラの掟」にすぎません。集まった人がフランク、フラットに議論して、論点を整理して、賛否の決めるべきことを決めることが組織や社会が進歩するためには大切だと思います。

 


 

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