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ペンリンインターナショナルとは

変化した世界を想像できない

私のように高度成長期に育った人は、心のどこかに楽観的な発想があります。たとえば、10年1度は必ず景気の底が来ても、そのうち回復する。回復したときには、それまでの損失が帳消しになり、プラスになるから大丈夫だという肌感覚を持っています。だから大丈夫だと思いがちですが、最近の不況は1度も回復することなく、かれこれ30年になります。それでも、会社には神様が宿っているから、つぶれるはずがない。このため、予防的に先手を打って会社を売ろうということもないのです。このまま進めば、会社がつぶれるかもしれないという発想を持てるのは、一度会社がつぶれる経験をしない人でないと、難しいのかもしれません。

 日本人は自然災害などで激変が起こると、その時は悲しみますが、がらっとマインドセットを変えて、復興に取り組むことができます。自然を前にすれば、仕方ないとあきらめて、気持ちを切り替えられるのです。一方、気候変動のようにじわじわと来る変化は、何とかなると思ってしまいやすいのです。

 しかし、そこで何とかならないのが現実です。毎年1%ずつ減少していくと、10年後、20年後に累積されて、崖となってガクンと下がります。現在、年間何十万人というペースで人口が減少しています。これが10年、20年続くうちに、ある時点から、坂道を転げ落ちるように激減します。そうした行く末を想像しなくてはならないのですが、それができない。四季折々に変わって、上がり下がりもあるけれど、そんなに変わるはずがないという暗黙の前提が私たちの深層心理のどこかにあるのです。こうした想像力の欠如は、これからの時代、非常に問題になってくると憂慮しています。

 

 

資本主義国家と社会主義国家

 アメリカはつくづく資本主義の国です。一部の成功者は栄耀栄華を極め、王様のような暮らしができる一方で、町には物乞いやホームレスがあふれている。そういう意味では、日本は社会主義国家だと感じます。個人がとてつもなく金持ちになる自由も、会社がつぶれる自由もないからです。

 日本の会社は実質的に赤字でも、八百万の神様が宿っていると人々が考えているので、おいそれとつぶせません。何とか頑張ろうとするので、当然、無理をすることになり、粉飾に手を染めてしまう。それでも手の打ちようがなくなった段階で、初めてつぶれるのですが、そのときは既にめぼしい資産は残されていない。すべてマイナスなので、そこから再生するのは至難の業です。ところが、その手前で他社への売却や合併を考えようものなら、「社長は社員を見捨てるのですか」と、みんなが詰め寄ってくる。神が宿る共同体組織という文化や価値観はいかんともしがたいものがあります。

 アメリカでは、会社は入れ物にすぎません。単に機能が寄せ集まってできた集合体なので、お金が回らなくなれば、すぐに畳みます。たとえば、サンフランシスの中心にあるショッピングセンターに行くと、ノードストローム、ブルーミングデール、メイシーズ、バーニーズニューヨークなどの百貨店がありますが、ノードストローム以外は過去にいずれも経営破綻を経験しています。日本であれば、つぶれた百貨店から客足は遠のきますが、アメリカの消費者は気にしません。ブランドに価値あるなら、それだけ残して、会社本体はハコを再生すればいいという発想だからです。まさに機械の部品を交換するような形で、機能を置き換えていく。人もくびになっても、心機一転して、次の会社で勝負する。だから、新陳代謝が進み、活力が生まれていくのです。これは古いものを、現状をとにかく変えずに守ろうとする日本との大きな違いだと感じました。

 

 

 

弾劾裁判の公聴会

サンフランシスコに滞在中に、朝テレビをつけると、ワシントンで行われているトランプ大統領の弾劾裁判のための公聴会の様子が中継されていました。まず下院特別調査委員会のシフ委員長が10分程度、前日の振り返りをした後、証人を呼び出して審議が始まりました。委員長の発言も、民主党の質問も、共和党の応対も極めてロジカルに客観的な事実を淡々と述べて、外国人が聞いていても明確でした。口汚いヤジやののしり合いはなく、とても品位があると感じました。

 その意味では、アメリカの議会はきわめてまともであり、日本の国会中継の議論とはかなりの違いを感じました。日本の場合は、特に論点整理がうまくできていないように感じます。たとえば、「桜を見る会」の問題にしても、何が法律上、倫理上の構成要件で、それが違法かどうか、違法の疑いがあるならそのエビデンスがあるかないか。また、違法でないとしても政治倫理的に良いか悪いか、基準は歩かないか、招待者の決定手続きに問題がないか。そうやって、具体的に議論をするほうが建設的です。

 会社の会議でも、論点を絞り込めきれていない場合が散見されます。そもそも議論することを避ける風習が影響しているのではないかと思います。たとえば、私がかつていた銀行では、最終意思決定機関である経営会議でも、議論は行われていませんでした。担当役員が説明し、それに対して頭取が質問し、ときどき会長が大所高所からの質問をするだけ。それはおかしいと思っていても、誰も何も言いません。ときどき他の本部の専務が何か言おうものなら、なぜ他の本部のことに口出しするのかと評判が下がり、その方は一期で退任となり消えることもありました。相手を言い負かせば、恨まれてしまうから、それはやってはいけないことなのです。ですが、それは所詮「ムラの掟」にすぎません。集まった人がフランク、フラットに議論して、論点を整理して、賛否の決めるべきことを決めることが組織や社会が進歩するためには大切だと思います。

 


 

サンフランシスコでの雑感

サンフランシスコは、アメリカ人が引退したら住みたい町のナンバーワンだと聞きました。確かに、湾岸エリアに大きな邸宅を構えて、ゆったり生活するのはよさそうです。ところが、実際にそんなことができるのは一握りの大金持ちだけ。アメリカ経済は好況に沸いていますが、それがインフレを生み、とにかく物価が高いのです。セールスフォースの社員ですらアパートの値段が高すぎて、会社の近くには住めず、かなり遠い場所から通勤せざるをえないそうです。片側4~5車線もあるハイウェイでは、朝夕のラッシュがすさまじく、日本と違って鉄道もないので、通勤はさぞかし不便だろうと思います。

 分配の不平等も目立ちました。街中に物乞いやホームレスがいて、夜は治安が良くありません。あれほどきれいな街でさえも、都市の表と裏が同居しているのです。アメリカは分断され、それが拡大している。社会や経済の矛盾を実感しました。

 ちなみに、アメリカ滞在中には、湾岸エリアの浄土真宗のお寺を見て回りました。シリコンバレーという土地柄もあり、現地のお寺はどれも立派です。広大な敷地に、大きな本堂があり、なぜか必ず体育館がついています。

 お寺に体育館という組み合わせは不思議な感じもしましたが、聞いてみると、歴史的な背景がありました。戦前から戦後にかけて、日系人は差別されていました。そのため、子どもたちは放課後、学校の体育館で遊ぶことができませんでした。そこでお寺に居場所をつくったというわけです。

 そのように地域にしっかりと根差した活動をしてきているので、今でも日曜になると、日系3世や4世の信者が集まります。お経を読み、英語で法話を聞いた後、食堂や体育館で一緒にご飯を食べたり、コミュニティ活動に参加するのです。葬儀や法要など門徒との接点が限られている日本のお寺とは、ずいぶん違うなと感じました。

 

 

 

 

 

マーク・ベニオフ氏の思想

 世界中の関係者を招いてお祭り騒ぎをする、ドリームフォースのように派手なイベントをなぜやるのか。不思議なことをやっている会社だと、心のどこかでひっかかっていました。だから、実際に参加してみて、ベニオフ氏のキーノート・スピーチを聞こうと思ったのです。そして、ベニオフ氏の話全般から感じられたのは、社会貢献に対する価値観や思想を企業行動に根付かせようという明確な意志でした。

 サンフランシスコ滞在中、セールスフォース・タワーの最上階のラウンジを案内してもらう機会もありました。上級執行役員の日本人女性が応対してくれたのですが、彼女の職務は、セールスフォースを導入しているクライアントに社会貢献活動を勧めて実践してもらうことだと述べていました。完全にコストセンターだと思うのですが、それを全世界で全社レベルでやっているのですから、本当に驚きです。

 日本でも一時期、経団連がフィランソロフィー・クラブといって、企業利益の1%を寄付しようといった運動が行われましたが、バブルの崩壊とともに雲散霧消していきました。一方、セールスフォースの取り組みを見ていると、みんながやっているから、恰好だけやるのとは全く違います。最初から世の中に貢献する活動をやりたいから、企業活動を行って利益を出している。それを本気で実現しようとしていることが伝わってきました。

 最近、ESG(環境・社会・企業統治)投資が注目されています。セールスフォースの株価がどうなっているかわかりませんが、これだけ徹底していれば、必ず企業評価に反映され、投資家の目も向くはずです。次世代の企業経営は、「一般消費者が社会や環境に配慮した活動をしているところから、物を買おう使おう」となっていくことを織り込んで、経営戦略を実行せざるを得ません。そういう先まで見通してトータルで儲かるところまで織り込んで、活動していることがよくわかりました。