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ペンリンインターナショナルとは

非暴力主義

  海外で要人の暗殺やテロなどが起こると、まるで他人事で、日本とは関係ない出来事だと感じるかもしれません。しかし振り返ってみると、日本でも戦前は暗殺やテロといった暴力沙汰はかなり頻繁に起きていました。

 無血改革とされる明治維新を見ても、テロの連続です。盤石だった江戸幕府をテロで倒そうとしたのが薩摩藩と長州藩です。明治政府が発足すると、今度は薩長の内部で、西郷らが排除され西南の役で最後は自殺に追い込まれました。首相となった伊藤博文や犬養毅も暗殺され、軍部政権も反対派を一網打尽に逮捕し殺害していきました。これは、わずか70~80年前に起こった出来事です。

 すべて戦前の軍部がやったことで、自分たちとは違う、まったく無関係だと思うかもしれませんが、戦後も三菱重工爆破事件やオウム真理教のテロが起こっています。他国は暴力的でひどい国家と思うのではなく、私たちにもそういう血塗られた過去があり、歴史は繰り返す可能性があることを想定しておかないといけません。

 私がそのうち時間ができたらぜひ読んでみたいのが、ガンジーの非暴力主義に関する本です。何かに抗議したいと思ったときに、ほとんどの人は武器を手に戦いますが、非暴力主義を唱えていたガンジーは断食という策に出ました。1人の人間が断食したところで何の効果があるかと思うかもしれませんが、インドの内戦ではガンジーの行動が効を奏し、内戦をしていた両軍を和解へと導いたのです。

 ガンジーは無関心ではいられず、自分にできることは何かと考え、行動に出た。そういうところに、とても心惹かれます。「無関心」は今の時代において重要なテーマだと改めて思います。

 

 

無関心に気づく

  人間は1人で生まれ、1人で死んでいきます。いつかは死ぬと理屈ではわかっていても、たいていの人は、自分の死はまだ遠い先のことだと思っています。なぜなら、まだやりたいことがあるし、お金もまだ十分に稼いでいないし、いい恋人にも出会っていない。だから先だと、何の根拠もなく思っているのです。そして、自分の親兄弟、子ども、配偶者など近しい人の死に直面したときに初めて、自分がいずれ死ぬという事実を無視してきたこと、無関心だったことに気づくのです。

 マザー・テレサは「愛の反対は無関心だ」と言っていましたが、キリスト教の愛には、すべてを受け入れるという、愛欲よりも広い意味を持っています。すべてを受け入れ、理解することの反対が無関心だとすれば、無関心が広がっていくことは非常に問題です。

 幸いにも、近親者の死に触れ、いったん生死の問題に関心を持った人は、自分の生は何なのか、残された人生をどう生きるかを考えずにいられなくなります。死んだ人のために2倍生きよう、もっと社会的に意味のあることをしようと考え始め、そこで人生の意味が変わるのです。

 どんな人にとっても無関心領域はあるので、それに注意を向け、見たくなかったことを正面から見て、自分はどうするかを考えて、できることをやる。それが無関心から抜け出す唯一の方策です。みんながそういう作業を一斉にやれば、無関心、無視の領域が減っていくはずであり、そういうムーブメントが大きくなるといいと思っています。

 

 

点と点をつなげる

  故スティーブ・ジョブスは「connecting dots」という言い方で、人生で直面する出来事には、無駄なものは一つもなくて、11つの点がつながり、後から見ると、どれも必然だったとわかると説明していました。長い人生の中で、今後、目の前に何が来るかわかりません。なかなか思い通りにならないとしても、飛んできた球を受け止めて、そこで最善を尽くして結果を出せば、また次の球が飛んでくる。そこには失敗と挫折があり、それを乗り越えて第3の道に行き、そこでまた失敗し学んでいく。そのうちに、ふと振り返ると、自分はこれを選んできたのだと、自分の過去の流れが意図をもってつながっていることに気づくのだろうと思います。

 人生100年時代を展望して、これから先、どうしようかと考えている人は、これまでのドット()を振り返ってみるといいと思います。どんな企業に入り、何をして、どんな上司につき、何について褒められ、何について失敗して落ち込んだか。そのうえで、そういう水平方向に広がる軸ではなく、自分の価値観、人生観、哲学、宗教観など垂直の軸を掘り下げてみるのです。

 若いときには、偉くなりたい、有名になりたい、お金持ちになりたいなど表層的な価値観を持っているかもしれませんが、そこから脱して、もっと深く、自分は何のために生まれて死んでいくか、自分の使命は何かと考えていく。そうすれば、水平軸で遭遇する出来事によって失敗、挫折、成功を経験しても、ブレなくなります。会社の中で活躍してきた人ほど、退職後の人生はむなしく感じられることが多いのですが、そうならないよう、自分に向き合って垂直軸を深める努力が必要だと思います。

 

文化立国--フランスとの違い

   先日、ある人から聞いたのですが、日本では絵が売れたときに、画商が売上の8割をとり、画家本人に渡るのは2割。画商が前金を払って、画家を育てて生活を支援し、マーケティング活動を行ったり、個展をアレンジしたりと、絵が売れるまで全面的にサポートをするからだそうです。

 一方、欧米、特にヨーロッパ大陸では、画商と画家は報酬を折半し、かつ、国家もそれを積極的に支援しています。その最たる国がフランスでしょう。

 たとえば、画家のレオナール・フジタは、レジオンドヌールというフランスの勲章を受賞し、国籍が日本であっても戦後は、フランスに帰化してフランスの画家として活動しました。将来性のある画家に勲章を与え、その画家がフランスで描いた絵が海外で売れれば、それだけでフランスに輸出税が20%入ります。そういう仕組みが出来上がっているから、国が半ば丸抱えする形で活動支援をしているのです。スペインの画家であるピカソも、フランスで勲章を受章し、フランス政府の保護を受けました。そして、ピカソの死後、フランスに多くの絵が寄贈され、いろいろな美術館に飾られています。つまり中長期的に見ると、国はまったく損することなく、文化資産を獲得しているのです。

 このように、フランスでは、文化財の保護するため国がパトロンとなって中長期投資をしているのですが、日本では短期でかつ単発の支援活動が目立つように感じます。だから、芸術だけでなく、学問の世界でも、人材の海外流出が起こり、研究成果や知的財産が海外のものになってしまうのでしょう。文化立国や科学技術立国を目指すなら、少しアプローチを変えることも必要だろうと思います。

 

 

 


 

スペシャリストは強い

  キャリアの相談にのっていると、自分は今の会社でしか通用しないのではないかという不安の声をよく聞きます。面白いもので、業績好調な会社で出世してきた人ほど、他の会社では使えないということが起こります。それは、その人の能力が、その会社に特化されていて、汎用的ではないからです。

 たとえば、まったく文化の異なる銀行が合併したときに、(元の銀行では花形職種で出世頭とされた)商品開発や営業現場の人たちは長く留まることはありませんでした。一方、合併後に残るのは、秘書室、人事部、企画部、広報部などの人たちで、それなりに昇進もできるのです。こうした部門では、経営サイドの判断を理解して仕事しなくてはなりません。このため、社風に違いはあっても、経営の考え方自体はそれほど変わらないので、適応力があると考え、それに合わせた人事施策がとられたのだろうと推測されます。花形部門に配属されたと喜んでいても、いつどこで立場が入れ替わるかはわからないのが人生です。

 その点で言うと、強いのはスペシャリストです。私の知人は、希望に沿わなかったのですが、法務部門や監査部門で40年務めることになりました。それだけ長く務めた結果、退職後も、その分野の第一人者として講演に呼ばれたり、業界団体の指南役になったりと引っ張りだこです。その人がいみじくも言っていたのは、現役時代には嫌で嫌でたまらなかったけれど、結果的に、その分野でプロフェッショナルになったことで、自分の職業人としての人生は充実した、ということ。そういう余人をもって代えがたしという存在になれれば幸せだなと思います。