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宗教は究極の物語

イスラエル人の歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリさんの『サピエンス全史』などの本は、インテリに影響を与えていると評判です。彼の本に触発されて、私が今、興味を持っているのは「物語」です。

 人間は事実や数字、方程式ではなく、物語の形で物事を考える。物語を作り出したから、人間は生物の覇者になれたと、ハラリさんは考えています。たとえば、身体が大きく、脳も大きかったネアンデルタールが滅びて、ホモサピエンスが生き残ったのは、前者が個人単位で動いていたのに対して、後者は連帯することができたから。なぜ連帯できたかというと、言葉や物語を共有して、共通の価値を持てたからだそうです。そうして連帯できたためにチームを組んで自分たちより力の強いライバルたちを攻略してゆくことができたのです。

 その点でいうと、宗教は究極の物語であり、事実認識の世界の対局にあります。人間はなぜ生まれて、なぜ死ぬのかというのは、親鸞聖人を悩ませた人生最大の課題でした。それに対して、親鸞聖人は「阿弥陀如来がすべて救ってくださる」という物語を経典解釈から導き出し、それを信じる教団ができたわけです。

 物語は科学的には論証しようがありません。阿弥陀仏がいるという論証も、救ってくださることへの論証もないので、宗教は科学的事実ではありません。ですが、その神話を自分の生き方の中核に据えることで、人生観、死生観が安定し、生きることへの不安が減り、前向きに生きる気持ちになります。この先、どうなるかがわからないのではなく、この物語の上に乗っかって生きる。不確かなものではなく、確固たる物語を据えることで、自分の人生が豊かなものになってゆく。そこに宗教の役割があるのだと思います。

 

 

 

エビデンスで事実を確認する

事実を認識するには、何らかのエビデンスが必要になります。たとえば健康状態にしても、自分は風邪を引いたことないから、大丈夫だというのは希望的観測です。血液検査、肺や胃のレントゲンを見て、そこで見える範囲では何も問題がないというのが事実認識です。会社の経営状況も同じで、たとえば、会社に残っているお金がいくらかが正確にわからないと、今後どうなるかはわかりません。よくバランスシートが大事だと言いますが、それは、いくら資産があるように見えても、実体バランスシートが減価していることがあるからです。逆に、負債がいっぱいあるように見えても相殺勘定で資産も負債も減って、純資産が明らかになると、それなりの手が打てることもあります。事実認識をしたうえで、このままではまずいから、もっと倹約するか、投資を増やすか。そこからは判断や賭けとなり、相応の戦略を立てて実行するのが経営に求められることです。

 ただし、何らかのエビデンスがあっても、それだけでは見え方が限られてしまうこともあります。事業再生で成功する社長の典型的パターンは、最初の年はまず現場を見ていきます。抽象的な数字はつかめていても、数字に表れない要素も必要になるからです。そこで、工場の在庫は本当にあるか、得意先の評判はどうか、現場の士気が高いか低いかを見て聞いて回ります。そうやって、現場を見たときの実感と数字を合わせて、そのうえでどうなるかを考えるのです。自分の目や耳、肌で確認するステップを入れる現場主義により、逆にだまされてしまうこともありますが、それでも多角的に事実を認識することは有効です。

コップ半分の水を前にすべきこと

昨年、イギリスを旅行していたときに、ロンドンの「School of Life」の売店でガラスのコップを買いました。半分のところに線が引かれ、片側にpessimist、反対側にoptimistと書かれています。つまり、半分しか水がないと残っているかと思うのが悲観主義者、まだ半分もあると思うのが楽観主義者と意味です。

 先日のグロービス経営大学院の「企業家リーダーシップ」のクラスで、このコップを見せて、「ここで一番大事なのは何か」と、学生に質問しました。「見え方の問題だ」、「視点の違いが重要だ」という答えが多い中で、最後にだれかが「水が半分残っているという事実を認識することが大切ではないか」と答えました。

 アメリカの心理学者で、欲求5段階説で有名なアブラハム・マズローは、自己実現した人の特徴について、「物事をあるがままに見えること。現実をより有効に知覚し、それにより快適な関係を保つ」ことだと述べています。物事をあるがままに見ること、つまり、事実を認識することが重要だというわけです。

 とはいえ、事実を認識するのはなかなか難しいものです。たとえば、自分の現時点のキャリアを見て、どれだけ事実を事実として認識できているでしょうか。どこに勤務し、給料や今季のボーナスがいくらかというところから始まり、自分は会社から嘱望されているのか、普通か、普通以下と思われているか。これも客観的な事実があるはずです。自分が何かをしたか、自分はこれが向いているのではないかとか、解釈をする前に、何が現実かを見据えなくてはなりません。

 何が事実であるかを認識した後で、ようやく、自分はそれを楽観的に見るか、悲観的に見るかを自分が選んでいるかがわかってきます。同じ人でも、気分のいい日は楽観的になったり、落ち込んでいると悲観的になったりします。それが色付けした解釈だということさえ認識できれば、解釈を変えることができます。したがって、まずは事実認識をすること。それを心がけるだけでも、だいぶ見え方は違ってくるので、そういう教育をすることが大切だと思います。

 

 

 

投資は悪なのか

最近、投資信託であれば誰でも気軽に始められると、政府が盛んに推奨しています。考えてみると、投資は悪だと長い間、教え込まれてきたような気がします。たとえば、銀行は正直で安全だけれども、株屋は何するかわからないペテン師だ。株を売買する人はギャンブラーで、銀行に預金するのが普通の人だ、というように。

 私が銀行員だった時代、定期預金の利率が6.5%(グロービス経営大学院の学生にそう話すと、みんな目を丸くします)でしたから、定期預金を元にした商品であれば、積み立て方式の商品でも何でもすぐにお金が増えました。消費者としても、銀行の中の商品であれば、口座振替がセットになった新規作成の申込書を書くだけで済むため、株式を買うよりもかなりハードルが低かったのです。

 今では銀行に定期預金しても0.01%程度の金利しかつきません。高度成長期はつぶれる会社のほうが少なかったかもしれませんが、現在のように長期衰退社会になると、銀行も破綻するリスクがあり、そうなると預金は1000万円までしか保護されません。それでもなお、銀行預金に偏っているのは、リスクを取ってでも成長できるものに投資するというファイナンスの思想がないからです。もちろん、それで損をすることはありますが、それはそれで仕方のないことです。

 たとえ1000円や1万円など少額であっても、定期的に投資信託にお金を積み立てていけば、必ず相場の上昇に勝てることが、統計的にも証明されています。短期的に上がったり下がったりしても一喜一憂せず、投資体験に慣れていくことが大切です。

ファイナンスの思想

 日本企業が全般的に将来を想像する力が弱いのは、ファイアンスの思想が企業経営に普及していないために起こっている現象だと、私は考えています。

 ファイナンスでは、将来を現在に引き直して、NPV(正味現在価値)がいくらになるかを考えます。ファイナンス系の人材がトップになると、このシナリオになればNPVが減る、売上が前年比のままでいけば、あと何年もつかというように、頭の中で考えます。しかし日本企業では、営業畑、製造畑の人がトップになるため、売上と利益ばかりを見ていて、そのような財務思想は主流ではありません。

 たとえ現時点で利益は出ているけれども、だらだらと利益率が下がり、従業員にやる気がなく、新しい商品やサービスが生まれず、イノベーションが起こらない会社はいずれつぶれます。一方、赤字であっても、問題点を確実に克服できることがわかっていれば、将来的に挽回は可能です。売上と利益だけで短期的に経営判断してはいけないというのは、そういうことです。

 もちろん、現在価値を計算するために予想利回りで割り引くのは1つの考え方にすぎず、必ずそうなるという保証はありません。ですが、そうやって現在に割り引いて価値を考えてみないと、「将来はわからない」とただ口で言うだけになってしまい、身動きが取れません。それでは経営が成り立たないので、たとえ架空の数字であっても、それを判断の基準にすることで、何をすればいいかを考えられるようになるのです。経営にはそういうファイナンスの思想がもっと必要ではないでしょうか。