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ペンリンインターナショナルとは

サバイバル能力

失敗しても立ち直る、レジリエンスという言葉をよく見聞きするようになりました。逆境の中でもしぶとく立ち直り、生き抜く。生物としても、競争社会においても、生き残っていくことは大切です。

 同業種の企業間のM&Aでは、弱かった企業の出身者は弾き飛ばされるのが常です。銀行合併の話を聞くと、卒業後のコース選びに出身銀行によって顕著な違いが見られるそうです。たとえば、私がかつて在籍していた三和銀行は、三菱銀行、東京銀行、東海銀行と一緒になって、今は三菱UFJ銀行となっています。面白いことに、50代の現役引退後に元三菱銀行出身者は8~9割が関連会社を望むのに対し、元三和銀行の出身者は銀行関連会社外の世界に出たがる人が多いそうです。実際に銀行と縁を切って転職するなどして勝手に羽ばたき、食うに困っているという話はあまり聞きません。三和銀行は銀行としてはユニークで、商社的なところがありましたが、そこで行員たちはたくましさを身に着けたのかもしれません。

 どうやったら、自分の力でサバイバルできるかは、それぞれが必死に考えなくてはなりません。体力勝負、知力勝負など戦い方はさまざまで、サバイバル方法は一つではありません。体力が弱くても弱いなりの戦い方があります。かみそりのように切れる頭は生まれつきだとしても、ナタのように力を入れて何度もトライすることで切ることはできます。それは実践を通して学べることであって、いくら親が教えても身に付くものではありません。どんな方法であれ、自分なりに経験を重ねて、サバイバルする術を探していくことが大切です。

 

 

 

 


 

教育を通してご縁を結ぶ

人生において、仏教に帰依するときにはきっかけが必要です。最近、築地本願寺の敷地内に合同墓が完成したのですが、申し込みに来られたある方は、娘が宗門系の学校に通っていたとおっしゃっていました。

 浄土真宗の歴代門主や奥様は教育熱心で、東京は武蔵野大学、京都は龍谷大学、岐阜の聖徳大などが宗門関係の学校です。築地本願寺でも学生報恩講が開かれ、先日も千代田女学園と武蔵野女子学院、それから千葉にある国府台女子学院から高校1年生が600人くらい参加しました。報恩講では、唱歌、法要、雅楽の演奏、法話などが行われます。法要は1時間くらいですが、学校の定型行事となっています。

 宗門校に通ったからと言って、すべての人が門信徒になるわけではありません。ただ、その教えになじんでいるので、何のきっかけがあったときに、他の人よりもその宗門に入りやすいはずです。教義を聞いて知識として頭に入れても、忘れてしまえばおしまいですが、小さな頃から身体で覚えたことは忘れません。だから、仏教界もキリスト教界も教育を縁づくりの場と心得ていて、子どもの教育に力を入れてきたのでしょう。

 学生向けの報恩講で私は法話をしたのですが、高校時代の自分を振り返りながら、大学受験に失敗して2浪したことを話すと、気のせいか、みんなの目がキラッと光ります。若い人たちに話すときはいつもそうで、人の失敗談は共感を呼ぶのです。おそらく何かに失敗して、それが心の傷になっているからでしょう。しかし、失敗を乗り越えて、這い上がる経験をしていけば、どんな世界でも自分の力で障害を乗り越えてやっていけるようになると思います。

謹賀新年

皆様、新年明けましておめでとうございます。

 今年も、よろしくお願いします。

島本パートナーズも1997年の創業から今年で21年となりました。初代の、島本一道から私が経営を引き継いで11年になりました。当初は、外資系の金融機関やIT企業がクライアント様の過半を占めておりましたが、ここ10年は、国内の企業様が8割を超える状況です。業種的にも、多角化して、金融業IT関連業だけでなく、製造業、サービス業、公営企業と幅広くなっており、ここ数年は、先端技術系の経営管理職のサーチを数多く引き受けております。

 業種が、多角化するたびに基本的な調査業務が格段に増えてきました。リサーチ能力のスキルアップが大きな課題になっております。社員一同で、外部の経済団体に参加したり、各種の研修会、大学研究所などの教育機関などにお伺いして研鑽に勤めている状況です。

 また、私が推奨する研修としてCTIジャパンのコーアクティブコーチングの研修に社員を積極的に参加させております。クライアントや、候補者の話をより良く傾聴し、理解することはエグゼクティブサーチ・コンサルティング業にとって何にもまして大切なことだと考えているからです。

 今年も、国内、国外共に、緊迫した政治経済状況が続くものと考えております。様々な環境変化に柔軟に対応できるように、会社全体で良く考えて様々な施策を打っていきたいと考えております。

 本年も、よろしくご指導ご鞭撻いただきますようお願い申し上げます。


 

 

■修己治人(しゅうこちじん)

江戸時代を通じて、徳川幕府は、儒学を後任の学問として武士の素養とされた。この儒学は、昔から「孔孟の学」と呼ばれてきました。つまり、今から約2500年前の春秋時代、中国の山東の曲阜に生まれた孔子と、それから約100年後に、曲阜(きょくふ)にほど近い鄒(すう)という町に生まれた孟子の二人が唱えた教えであって、孔子の教説は「論語」に、孟子の学説は「孟子」において明らかにされています。それと共に、広くは「四書五経」もまた、孔子孟子の学のテキストにされてきました。

 四書とは、「論語」「孟子」に加えて、「大学」と、「中庸」を、含めたものであり、五経とは、「易経」「詩経」「書経」「礼記」「春秋」の事です。このような膨大な書物に説かれていることが冒頭の「修己治人」ということです。

 意味としては、「己を修めて、人を治る」(自分の中にある徳を磨いて、そして人々を良く治める)との意味です。ここでいう「修己」とは、道徳、倫理であり、「治人」は、つまりは政治、行政ということです。国や組織を修めようとすれば、先ず何よりもリーダーが自分自身の徳を日々、怠らずに、修練して磨いていかねばならないということです。

 現代においては、この「徳」という言葉は、死語に近い意味になっています。会社組織で、あの人は徳がある、と言いうるようなリーダーは、ものすごく少ないようです。徳や倫理観といった言葉が、意味をなさない欲得づくの組織運営を続ければやがて、国も、会社も、あらゆる組織が衰退してゆくことは古今の歴史が証明しているところです。

 一年の終わりにあたって、自分自身が、「この一年、果たしてどれだけ徳を磨いてきただろうか」と反省してみると、はなはだ心もとないことに気づかされます。経営のスキルは磨けても、徳は磨かれていないことの方がはるかに多いのではないでしょうか。


 

ダメ出しの文化と国力

「もっと、もっと」という駄目出しは、日本人に根づいた文化的習性なのかもしれません。たとえば、よくトレーニングされた教師のコミュニケーションを見ていると、最初は褒め言葉から入りますが、最後はしっかりと駄目出しをしています。そうやって要求レベルを高くすることで、みんなが常に上を目指して頑張り、全体が底上げされるのかもしれません。

 その一方で、全員がトップになれるわけではありません。一部の選ばれた人がトップエリートとして引っ張る世界もあります。私はケンブリッジ大学大学院に留学していたときに、それを教育方法の違いとしてまざまざと感じたことがあります。当時、博士課程の論文作成に取り組んでいたのですが、そこで求められている要件は「際立った貢献」があること。このため指導教官から、一定レベルの基礎知識が得られたら、同じ分野の論文はあまり読みすぎないように言われました。オリジナリティのある仮説をどれだけ出せるかで決まるから、「誰かがこう述べている、だから私はこう思う」という論法は不要だと。日本では、先人の論文を読んで、引用しないといけないと言われていたので、発想がまったく異なることに面食らいました。

 海外では、誰が何と言おうと、これが自分の理論だと示す。言い換えると、変わったことをやらないと評価されません。みんなと同じことをよりよくできれば、褒められはするものの、「スーパー」とは言ってもらえないのです。そうやってオリジナリティを大切にするから、ケンブリッジ大学から何人もノーベル賞受賞者を輩出してきたのだと思います。こうしたことは単なる文化的な差というだけに留まらず、国力の差にもつながっていく可能性があります。

 その点で言うと、日本はオリジナリティを評価する文化がなく、ほかと変わったことや、みんながやらないことをすれば、うつけものだと言われ、村八分にされがちです。しかし、そういうはぐれ者こそが、新しい会社を作り、世の中を変えていきます。したがって、ダメ出し文化一辺倒ではいけないのだと思います。