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ペンリンインターナショナルとは

人間としての「のりしろ」

   大学時代、私はテニスサークルの代わりに、律法会にのめり込むようになりました。司法試験を受けることを前提にした勉強会だったので、基本的に授業には全部出席し、しかも、一番前に座るような人が参加していました。当時は大学に入ると、98%の人間は遊んでいたので、まさに別世界です。1年生のときから、夏休みは日吉や三田の図書館で1日中、法律の勉強をして過ごしました。法律の本を1冊、みんなで読み合い、あれこれ考えて意見を述べ合うこともありました。

 私自身はそれほど勉強好きだったわけでもないのですが、そういう環境の中にいると、それが当たり前になってきます。みんなで一緒に昼ご飯を食べに行った後、法律の議論をすることが純粋に楽しかった。勉強する「フリ」だったにせよ、そういう時間を多く持ったことは大きいと思います。

 実は、社会人になってから、「高卒と大卒の違いは、能力の差ではない。大学に行くと4年間、遊んでいても試験の前に、本を何冊か読む。その差が、高卒者と大卒者の糊代(のりしろ)の違いになるのだ」と言われたことがありました。確かに、当時の銀行には、頭の良い高卒者もたくさんいました。彼らと話をすると、大学に行きたくなかったというよりも、お金がないと行けないと思い込んでいたり、奨学金やアルバイトをして進学するチャンスがあることを知らなかったというのです。昭和40、50年代は、まだ地方と都会とでは情報格差の大きな時代だったのです。

 勉強した時間の多寡が、その人の幅の違いになる。それが本当だとすれば、大学時代に投じた時間は、私の中でそれなりの蓄積になったのではないかと思います。

 

 

 

私の大学時代――馴染めなかったテニスサークル

4月というと、年度が替わって入学、卒業、就職、転職、海外赴任・帰任など、新しい環境に身を置くことの多い時期です。新たな出会いのある中で、どのような人間関係を築いていくかということは、人生において重要です。

 私の場合、真っ先に思い出すのは、大学に入ったときのことです。高校を卒業してから2年間の浪人を経て、新入学生として慶應大学の日吉キャンパスに行ったとき、「まるで別世界のようだ!」と思ったのを覚えています。早速、いくつかのクラブを見分し、あるテニス同好会と、法律の勉強をする律法会に所属することになりました。

 最初のうちは、浪人時代の反動もあって、テニスサークルに熱心に顔を出していました。練習はほどほどで、帰りに友達と食事に行ったり、お茶をしたりするのが楽しかったのです。そのうちに、馴染めないことがわかってきました。同好会のメンバーは慶応の内部進学者が半数以上を占め、彼らを中心にカルチャーが形成されていたのです。その雰囲気が何となく合わなかっただけでなく、金銭感覚が違いました。彼らは中小企業の経営者を親に持ち、自分の車、それもBMWやボルボなど外車を乗り回していることも多かったのです。それまで私は自分のうちが貧しいと思ったことはなかったし、家庭教師のアルバイトをして、学生としてはそれなりに豊かな生活を送っていましたが、彼らに比べると、相対的に貧乏だと感じざるをえませんでした。

 そんなこともあって夏合宿を境に、テニスサークルから足が遠のくようになりました。その時のメンバーで、今でも付き合いがあるのは1人、2人しかいません。

生き方を変えるヒント

アドラーの言葉を学生に紹介したときに、「自分の生き方を変えられると思えないのですが、どうすればいいのでしょうか」と質問されたことがあります。

 そういう場合は、身近なことから考えてみるといいと思います。たとえば、自分が好きなことは何か。たとえば、子供の頃に、何をしたかったか。結婚するときに、相手に何を望んだか。子供が生まれた時に、子供に何を望んだか。自分にないものを望んでいないか。いろいろと振り返りながら、紙に書き出してみると、自分のライフスタイルが浮かび上がってくるものです。

「迷惑だけはかけるな」という親の言葉を守ろうと、自分よりも周りの人の目を気にして生きてきたかもしれません。そのように親やほかの人の影響を受けていたとしても、それは結局、あなたが選んできたことです。それが客観的に明らかになると、「ああ、そうか」と思えるはずです。そうやって自分を心理的に追い込んだら、その先に何を選ぶかは、自分の心に聞くしかありません。

 転職を考えるときも同じです。転職すると言えば、絶対に上司から引き留められて、これまで今の会社にお世話になってきたから、どうしようかと悩む人がいます。しかし、周囲の反応よりも、自分が何をしたいのかを決めなくてはなりません。どういう生き方をしたいのか。その生き方をするために、今の転職の機会をどう捉えるのか。何日かかってもいいので決める。そして、決めたら、それを守るために何をしなくてはならないかを考えるのです。それで転職を決めたのであれば、だれに反対されようと克服できます。だから、まずは心を決めることが大事なのです。

 

人は自分を変えることができる

私は時折、アドラー心理学などで有名なアルフレッド・アドラーの本を読むのですが、やはりいいことを書いているなと思います。たとえば、最近彼の言葉の中で目が留まったのが「人は自分を変えることができる」というものです。まるで安っぽい自己啓発書のテーマのようですが、アドラーの言葉には理論の裏付けがあります。アドラーによると、起こったことをどう解釈するかはその人のライフスタイルで決まります。人は、自分の人生観、性格、思考パターンなどのライフスタイルを自分で選びます。だから、今のライフスタイルが不幸であれば、また選び直せばいいのです。

 たとえば、私はビジネスマン兼お坊さんという特殊な立ち位置で活動しています。そうなったのにはいろいろな経緯があるとしても、明らかに自分で選びとった結果です。そういう生き方が自分のライフスタイルに沿っていると思っているから、今があるわけですから、どれほど忙しく、どれほど想定外の仕事が降ってきたとしても、やらされ感はありません。不平不満や愚痴が言いたくなるときもありますが、嫌なら、やめればいいだけのことです。自分で選んだのだから、目標を達成するまでやり遂げるしかないのです。

 それから、他の人を見て、羨ましいと思った生き方があるなら、自分でもやってみればいいのです。もちろん、絵を描いたこともない人が画家になろうと思っても、一足飛びにはいきません。しかし、画家になると決めれば、それを実現するためのアクションを考えることができます。たとえば、3年以内に日展に出そうというように、イベントを決めて、そのために今は何をしたらいいかを考えて、その準備をすればいいのです。それが人生経営だと思います。

 

 

立ち直るまでのプロセス

失敗から目を背け、なかったことにしようとする人が多いように思います。たとえば若い時に恋愛に失敗すると、そちらには寄るまいと、かたくなに男女間の性愛に心を閉ざし、仕事にまい進する。ところが、そうやって封印しても、どこかでそうした頑なな自分に逆襲されるものです。真面目一辺倒だった人が家庭を壊して、老いらくの恋に走るといった話は実際によく聞きます。

 そういう逆襲を回避するためには、失敗や挫折した時に、その事実をいったん受け入れるプロセスが必要になります。エリザベス・キューブラ=ロスの一度落ちてから再び浮上するプロセスは、死の宣告を受けたときだけでなく、試験で落とされた人、会社で左遷された人、解雇を言い渡された人などにも同じく当てはまります。そんなはずはない、何かの間違いだろうと怒り、悲しむ。そして、どん底の気持ちになった後で、どこかでコツンと突き当たって諦め、「そうはいっても、もっと積極的に生きよう」と思い直し、這い上がっていくのです。

 実は、カウンセラーが患者の悩みに付き合うときにも、そういうプロセスを見ながら、どのように谷を下り、山に登れるようになるか、支援していきます。以前おつきあいしていた、アウトプレースメント(再就職支援)のコンサルティング会社でも、そういうモデルを専門のカウンセラーに教え込み、それによって新しい力を得て、新しい人生を歩み始められるようサポートするという話をしていました。コーチングでも、クライアントの感情につきあうときには、谷を降りて山を登るという言い方をよくします。そういうプロセスを経ることがわかっていれば、谷底で苦しんでいる人に寄り添いやすくなるのだと思います。